1 陸水域生態系の特性
1-1 陸水域生態系の特性
我国の国土は南北約3,000kmにわたって細長く、亜熱帯から亜寒帯まで幅広い気候帯に位置するとともに、山岳地が多く複雑な地形を呈しているという特徴を持つ。
河川や湖沼についてみると、河川は急峻な地形のため、河床勾配は急であり、集水域が小さく流程も短いため流水は急速に流下する。また、季節的な降水量の違いによる流量の年変動があるとともに、台風等による洪水の発生に見られるような突発的で大きな変動が起こることが特徴である。湖沼は国外の著名な湖のような規模の大きなものは少ないが、地形・地質条件を反映し、火山湖、断層湖、堰止湖、海跡湖など多くの成因によるものが見られ、位置、面積、水深、水質などがさまざまであることが特徴である。このため、河川や湖沼等からなる陸水域は、多様で個性的な環境を形成し、多くの生物種・群集が生活する場として遺伝子レベルから生態系まで多様性を高める基盤となっている。
陸水域生態系とは、陸水域とその周辺の陸域及び移行帯で構成される一連の環境系である。これを生物の生活の場という観点から眺めると、水を通じた生活基盤への作用という視点及び陸域と陸水域とのつながり、または海域とのつながりという視点が重要である。陸水域の特性はこのような水の作用を通じた変動性と連続性に凝縮される。以下にこれらの特性について解説する。
(1)場の成り立ち
陸水域の生態系は水域のみならず移行帯から水域と関連する陸上部という場を含めて成立する生態系であり、河川、湖沼、湿原などさまざまな形態、開放的な系、閉鎖的な系、あるいは不安定な系、安定な系などの面などを有し、それぞれが個性的な構造や機能をもつ。また、水によって成立する陸水域生態系には、陸域生態系とは大きく異なった分類群の生物種・群集が生活している。このことは陸域、水域にまたがる陸水域では多様な生態系が形成される可能性を示している。
(2)変動する場
陸水域は安定した環境系ではなく、水の作用により変動する場であり、この変動により構造や機能の多様性が形成される。変動する主な要素として以下に示する。
1)洪水の発生
洪水は河川の変動性を端的に示す事象である。洪水は水とともに大量の土砂を流下させ、河川の地形や河床材の構成を一度に変化させる。これは河川の流入する湖沼や湿原についてもあてはまる。また、物質循環の面からみると洪水は平水時に貯留された物質を一挙に流出させるとともに陸域から新たな物質が流入する事象であり、これは河川の若返りを意味する。生物については個体群が洪水により混合することで、遺伝的な多様性が増し集団の安定性を高めることがある。このように陸水域では洪水の頻度や規模が生態系を考えるに当たっての重要な要素であり、洪水による生態系の構造や機能の変化や生物群集とその生活史への影響という視点をもつことが大切である。
2)浸食と堆積
陸水域は浸食と堆積という水の物理的攪乱作用によって生物の生活基盤となる地形を形成していく。この作用を引き起こすのは洪水に代表される水の変動である。
浸食は新しい生活基盤を形成するという点が重要であり、砂やウオッシュロード*の流下は底質を洗い、砂礫の表面を剥離して新しい基盤を提供する。また、堆積は水際の地形の変化、河床材の変化等をもたらすが、砂の供給の多い河川では石礫の空隙を砂が埋め、微小な生息空間が失われる。このような浸食、堆積の傾向は河川の縦断図などでも概括的に把握することができる。
浸食、堆積は湖沼でも同様で、例えば規模の大きい海跡湖では海域と同様に沿岸流による物質の運搬がある。また、日常的には流入河川からの堆積、波浪による浸食や堆積があり、これが湖畔の地形を変化させ、生物の生息環境を攪乱する。
3)水量・水位の変化
河川は日流量の統計値である最大・豊水・平均・低水・渇水、最小の各流量でまとめられるように、流量や水位が大きく変動する。このような変動は集水域や涵養域の降水特性、地質、土地利用や河川の勾配をはじめとする環境要素によって規定されている。また、ダムなどの調整施設がある場合にはこのような変動を人為的に操作しており、自然の流れの状況を変化させている。このような流量や水位の変動は河畔の移行帯成立のもととなるとともに、物質の流れをも規定する。
さらに細かく見ると河川では縦断的、横断的にみたときの地点ごとに水の作用の程度が異なり生態系に多様性をもたらしている。
また、海と陸水域の境界にあたる河口部は、河川の水理に潮汐の作用が加わって複雑に変化し、陸水域と海域相互の性質を反映した多様性に富んだ生態系が成立する。
なお、湖沼や湿原等、止水域とされる水域にも河川水や地下水の流入・流出に基づく流量・水位の変動、潮流の変化があり、移行帯の形成等を通じて、生態系に多様性をもたらしている。
4)温度の変化
湖沼、ダム湖など一定の水深をもつ容量の大きな水域では、季節的に水温の急変する水温躍層が形成され、水生生物の分布に大きな影響を及ぼす。このように陸水域生態系では、水温の季節的な変化とともに空間的にも大きく変化することに留意する必要がある。また、湖沼や湿原では結氷の有無が生物の生活に与える影響はきわめて大きい。
5)水質の変化
水質を生物との関係で類別化すると、物質生産の基礎量を示す有機物や、栄養塩類、pH、塩分等があるが、陸水域の生物群はそれぞれ水質項目に対し生息の許容範囲をもっており、しばしばこれらが生息の指標となる。なお、回遊魚に代表されるように、一部の生物では水質の許容範囲は生活史の段階に応じて変化するという特性なども陸水生態系への影響を検討するに当たって重要な視点である。
(3)連続する場
1)基本的に物質が上流から下流へと流れる系
河川は物質が水とともに上流から下流へと流下する系である。有機物、栄養塩類など生物にとって重要な物質は、陸水域以外からも供給され、上流から下流へと流下しながら食物連鎖等を通じてさまざまに変化し、利用され、陸水域のさまざまな場で生活する種や個体数に反映される。
河口部は定常的な河川の運ぶ物質の流れと海域から潮汐の運ぶ物質の流れが相互に交わる場であり、特殊な環境が形成されている。
湖沼は火山湖の一部などのように流入・流出がほとんどないものもあるが、多くは流入、流出河川を伴う。湖沼の物質循環は、これらの河川を通じた物質の流れの影響を受けるのであるが、内部生産が生態系全体に占める割合が大きいことが重要なポイントである。
このように水を媒体とする連続性は、陸水域の物質循環を規定する重要な特徴である。
2)水系を上下(縦断)方向に利用する生物の存在
河川はそこに生息・生育基盤をもつ動物・植物にとって、回廊(=コリドー)として移動に利用する重要な場である。また、遡上、降河する魚類、甲殻類や水生昆虫など河川や湖沼によって形成される水系のつながりを縦断的に利用する生物が存在する。このような生物にとっては水系の縦断的な連続性の遮断は時として致命的となる。
3)移行帯の存在
河岸や湖岸の構造は水域の変動に対応して移行帯をもつ。陸水域の生物の中にはこのような移行帯に生息する生物のほか、生活史からある時期に水域に依存する、もしくはある時期には陸域に依存する種などが存在する。これらは水域と陸域の連続性に依存して生活する種群であり、このような種群の存在が陸水域の多様性を支えており特性の一つとなっている。
(4)地理的隔離性
陸水域では、その地史的な経緯により連続性が失われたために、限られた水域あるいは流域でのみ隔離分布を維持しているイワナ類や淡水型のトゲウオ類などの魚類が生息している場合がある。このように地理的・遺伝的な隔離によって、孤立した特徴のある生態系が成立することも特性のひとつである。
環境影響評価においては、陸水域生態系を陸水域及び水、物質、生物によって陸水域と相互に関係を持つ陸上の部分を含めたものとして考えることとする。陸水域には河川、渓流等の流水域と、湖沼、湿原等の止水域のほか、既存のダム湖などの人工的な区分も含めて扱う。
陸水域生態系と陸域生態系・海域生態系は、不明確な境界により接し、隣り合って関連していることから、実際の環境影響評価では陸水域生態系のみを考えるのではなく、生態系項目の一部として対象の範囲を幅広く含め、境界部分の見落としがないよう留意しながら陸水域と陸域や海域を一体的に捉える必要がある。
陸域生態系や海域生態系との境界部分の扱いについての留意点は以下のとおりである。
(1)河畔、湖畔など陸水域の影響を受ける陸域
陸水域と隣接する陸域側は、地形、土壌水分や植生が水の作用により漸次的に変化し、水域側と陸側の双方の環境を利用する生物も多く存在する。また、河川や湖沼では水際線が一定でないなど水域自体が絶えず変動している。このことから、水が作用する範囲や、水域への依存性の高い生物の行動圏等については陸水域生態系の視点から捉えることが必要である。
(2)集水域などの陸水域に影響する陸域
陸水域は降水が地形条件により表流水や伏流水・地下水として流下、湧出、滞水することで形成されており、集水域・涵養域とは密接な関係にある。陸域として扱われる集水域や涵養域の改変により、対象となる陸水域にも変化が及ぶことが想定される場合は、集水域や涵養域の状況を踏まえて陸水域生態系の検討を行う必要がある。
(3)規模が小さな湖沼や湿原などの陸水域
孤立して存在する小規模な池沼、湿原や、細流、沢など局地的な陸水域は陸域生態系の特殊立地として検討することができるが、規模の大きな湿原や小規模であっても他の陸水域と関係する池沼等は、陸水域生態系の視点からも捉える必要がある。
(4)河口部(汽水域)
河口域または汽水域は、海水の遡上と河川水や物質等の流下、生物の回遊により、海域と陸水域が重複する環境である。一般に陸水域における事業では、水の流下を通じて下流側や海側への影響が大きいことが想定されるため、河口域、汽水域への影響については海域生態系からの視点とともに陸水域生態系の視点からも検討する。
また、地下水については、陸水域と関連が深い浅層の地下水、河川の伏流水は、陸水域生態系の視点からも検討する。